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DV家庭での生活を経て~19歳でがん 3度の再発 ~

目次

幼少期

私は、田舎で生まれた。兄と両親と私4人家族で団地に住んでいた。

父親は大工をしていたが、冬は収入がなく、母親はよく借金していた。

うちは貧乏だった。私は、小さいころから服が好きで、おしゃれもしたかったが、服なんてほとんど買ってもらった記憶がない。服はほとんどいとこからのおさがり。それをひたすら楽しみに待っていた。

私は小さいころから人と比較することが多く、友達と比べては虚しい気持ちになることもよくあった。子は親を選べない。(逆も言えるが)なぜこの親の元に生まれたのかと複雑な思いになった。

そんな原因は家にあった。父親が暴力で人を黙らせる、気に食わないことがあればすぐ人と縁を切る(母親の友人、親戚、自分の兄弟問わず)人だった。父親も母親も、暴力のある家庭で育ったらしい。

父親は友達には優しかった。強くて、面白くていいお父さんだと思われていたと思う。私はこんな家が好きではなかった。大好きな母親を殴る父親を絶対に、一生許さないと思っていた。

小さいころ、母親が殴られている間、私と兄はよく部屋の隅っこで泣いていた、ずっと泣いて耐えていた。動けなかった。小さすぎて、母親をかばうこともできなかった。母親の身体には内出血の跡があったり、たんこぶが頭に出来たりしていた。

私と兄も殴られたり、物が飛んできたり怒鳴られることはよくあったが、もっぱら母親に暴力を振るっていた。

父親は、豹変する。なにでスイッチが入ったのかわからない。理不尽なことで豹変する。蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。一瞬にして目が変わる。心の底から、父親が憎かった。

暴力を連鎖させてはいけない。私は小さいころから、絶対に暴力を振るう人とは結婚しない、暴力を受けたら、絶対に離婚すると決めていた。もう二度と人が傷つけられるのを見たくはない。暴力のある場所からは、1日でも早く逃げなければいけない、逃げたい。毎日のようにそう思っていた。

中高生

私は人の顔色を伺うようになっていた。

人が機嫌が悪かったり、イライラしてたりするとどうしたらいいのかわからくなり、怖くなる。

大きい声を出されたり、怒られたりすると、下腹部がぎゅっと締め付けられるような感じと違和感があり、鼓動が早くなり血の気が引くような感覚になる。

高校生になったころから父親の暴力の回数が減った。父親が変わったわけではない。兄が暴力を止められるようになったからだ。何度もやめろと殴る手をつかんで止めていた。私が父親に、母親を怒鳴っていた内容のことで問いただして殴られたときも、大きい声と音に気付き、家の2階から助けに来てくれた。

兄も父親から離れたいと思っていた。父親に何を言っても分かってもらえない、反抗するだけ無駄だ、と冷静に考える人だった。私は腹が立ちすぎて、わかってもらえないのも理解したうえで反抗していた。父親に似て強情な性格だった。

実家を出てから・・・

ブログの一つ目の記事に書いたが、私は家を出て、一人で住み始めて専門学校に通っていたころ、甲状腺がんになった。

実家から1日でも早く出たいと願っていたので、やっと解放されたと思った矢先だった。

その時はまだ学生だったが、その後結婚した。子供が2歳の時、私は再々発し、親に子供を見てもらい手術した。父親にももちろん感謝はしている。

でも、子供が喘息になった時、実家に遊びに行くと、たばこをいつも通り吸っていたのでやめるように頼んだ。

だが、ここは俺の家だ、たばこが悪いなんてことはない、俺だって実家で父親がたばこ吸ってたけどなんともなかったと言った。

話にならなかった。

孫をかわいがる=孫の身体に悪いことはしない、ではないのだ。それで孫がかわいいというのは歪んだ愛情(そもそもが愛情なのかもわからないが)だと思った。いちいち怒りがこみあげてきて、実家に帰るとストレスがたまった。

苦しい思いばかりしてたわけではない、もちろん楽しいこともあった。だけど、人の心は傷ついたことや、憎く思った気持ちは忘れない。絶対に。良いことよりも悪いことのほうが記憶に残る。人間の心の傷は癒えることはあっても、消えることはないと私は思っている。

面前DVという言葉を何年か前に知った。面前DVは児童虐待だと知った。親の暴力を止められないという無力感や罪悪感を持ってしまう→自己肯定感が低くなるなど心の発達に影響が出るそうだ。友達にも、自己肯定感が低いと言われた。

今現在仕事をしているが、大きい声を出して怒鳴ってる人を見たり、それを自分に向けられたりすると、両手が小刻みに震えたり、何も言えなくなってしまったり、鼓動が早くなり下腹部がぎゅーっと締め付けられるなどの身体症状が出る。

トラウマのせいだろうとは思っていた。

私が経験したDVはここには書ききれないほどある。それでも自分よりもっと大変な思いをしてる人がいっぱいいるだろう。

今、私は思っている。暴力のない、今の家庭はそれだけでも幸せだと。

DVを我慢することにメリットなんてなにもない。おばあちゃんが母親に、線路の上に立つくらいの気持ちになったら帰ってこいと言ったらしいが、それでは遅い。日本は耐えることが美徳と言われているが、DVは耐えてはいけない、周りのみんなが不幸になる。

生きていて努力が必要になることはもちろんあるが、DVに至ってはそんなこと言ってる場合ではない。暴力に耐えても自分にプラスになることなんてないと、私は実感している。

母親を暴力から逃れさせるため、別の場所へ母親を住まわせたが、私がいない間に家に戻ってしまった。もう父親に洗脳されてしまっているんだと思った。自分が悪くないのに、相手にお前が悪い、お前のせいだと言われ、殴られ続けてきた。  

何があっても「お母さんが悪いんだ」と母親は言う。最初、私が言わないと、DVだということにも気づいていないレベルだった。何十年もの間、暴力に耐えてきた母を、私は理解できない。

洗脳されている状況はわかる。暴力の後に、父親が母親に優しく接することはないが、母親が謝ると数日後には普通に戻り、言葉が優しくなったりする。この人は本当は悪い人じゃない、優しい心を持っている人なんだと離れられなくなる。

でもまた理不尽なことで暴力が繰り返される、何年も同じことの繰り返し。それに子供が巻き込まれる

自分を大事にしてほしい、殴られる自分がかわいそうだと思ってほしい、自分が耐えることでどうにかなると思わないでほしい。我慢することで子供も一緒にずーっと一生苦しむことになる

みんな、暴力のない場所で、毎日おびえることなく生活することを選んでほしい。相談できるところがあるから。簡単ではないけれど、寂しいと思うかもしれないけれど、そこから逃げないと、結局自分だけでなく、周りも傷つく。     

自分の子供が、付き合ってる人や配偶者に暴力受けていたら、苦しいはず、助けたいと思うはず。私なら耐えられない。話し合いでは解決できないこと、だからこそ、勇気をもってほしいと思う。離れるという選択肢を・・・。

  

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