父親との確執
私の父親は、よく母親に暴力を振るっていた。いわゆるDVというやつ。私は昔から父親が好きになれなかった。正直、父親を心から好きだと思ったことは一度もない。
2年前息子は大学生で、家から通うのが大変だったため、私の実家に住ませてもらっていた。私は息子に、実家で生活するのは無理だと言った。父親は自分勝手で、人の話を聞く人ではない。息子は大丈夫と言っていたが、2か月ほどで家に戻ってきた。
息子がまだ実家にいたある日、また些細なことで父親が怒り出し、なぜか私に電話してきて、母親が悪いというのだが、内容的になぜそんなに憤慨しているのか、訳が分からなかった。母親に被害が加わらないように、なだめてから母親を殴るのだけは絶対やめてとくぎを刺しておいた。
その日の夜、息子が実家の部屋で寝ていると、夜中の2時頃、母親が「○○助けて!!」と悲痛な声を出して息子を呼んだらしい。
息子がびっくりして飛び起き、様子を見に行くと、父親が「○○どうした?起きたのか?」と普通の顔で穏やかに話しかけてきたようだ。その時怖くてぞっとしたと話していた。明らかに何かあったのに、何もないと言われ、異様な雰囲気だったと息子から聞いた。
次の日、息子から電話で詳細を聞き、父親に電話した。私は怒りで震えていた。暴力振るったことを問い詰ると、あんなの暴力のうちに入らないと言った。(ペットボトルで何度も殴ったらしい)私は怒りのあまり、今までの我慢が切れてしまった。
暴力がどんなに私たちを傷つけてると思ってるんだ、大きい声出されると、体が震えて、仕事にも支障がでていると言った。
父親:俺のせいだっていうのか?私:自分は関係ないと思ってるの?小さいころから暴力見てきて、トラウマになってるんだよ?父親:俺は全く関係ない、なんも悪くない、もう誰もうちに来なくていい、とそのあと私が話してるにもかかわらず、勝手に電話を切った。
DVから抜け出す手段
母親が仕事から帰ると、自宅にチェーンがかけられ、入れなくなっていた。
母親から電話が来て、事情を聴き、駅で待ち合わせ、その日はホテルに泊まった。いろいろ話したが、このまま帰っても、暴力受けるだけだから、絶対帰らないほうがいいと言った。
母親の気持ちが揺らいでるのはわかっていた。性格的に、家に帰りたいと思ってるだろうなと。でも、もう殴られたくないと言っていた。帰らなくていいけど、父親のことが心配ではある、最後まで私が面倒見るって言ったから・・・と話していた。
父親は60歳ころ胃がんで手術した。それから食べられなくなり、やせ細っていった。でも、酒ばかり飲んでは下痢したり吐いたりしていた。お酒をやめて、ごはんを分割して食べるように言ったが、全く言うこと聞かず、いつも具合が悪いと言い、仕事も行けないといい、退職し母親の稼ぎで生活していた。
たばこも酒も、仕事もしていないのに止めず、パチンコにも行っていた。酒を飲みすぎて肝炎になり、何度も入退院を繰り返していた。お見舞いに行くのも恥ずかしかった。心の底から情けなさが溢れ、自分の親であることを恥じた。
本人は全く何も気づいていない。自分はよく子供を育てた、小さい時いろいろしてやった、やってあげたという満足感があるらしい。私や兄が傷ついたり、こんなに嫌っていることさえも知らないだろう。
母親とホテルに泊まった時、自分が仕事している間、父親がどれだけお酒飲んでるかわからないと言っていた。酔っ払いふらふらになってることもあるらしい。アルコールを毎日飲んで、依存症になっているのだろう。市役所に翌日相談に行くことにした。
担当の男性が、家にも入れないと事情を説明すると、警察も、安否確認をすることはできるが、期間を開けて本人の生存確認が必要にならないと(1週間くらい誰も本人と連絡とれないとかだったかな・・・)、強制的にうちには入れないとのことだった。
アルコール依存症も、本人がまず断酒して、治療する意思がないと病院に強制入院させることはできないと。
DVについても、別窓口で相談に乗ってくれた。女性の担当の方が優しく話を聞いてくれて、母親は辛かったと号泣した。私もつられて泣いてしまった。DVで洗脳されてしまっている、大抵、自分が悪いからこうなったと思うのが被害者の方の思いであることを伝えられ、母親はその通りです、と返答していた。
離婚と復縁~心の葛藤
まずは、相手と離れること、一人で家に戻らないことを伝えられ、とりあえず、ずっとホテルに泊まるわけにもいかないので、レオパレスに住むことになった。私が全部手配し、年末だったので、1週間ほど母親と住み、いろんな話をした。
毎日気晴らしに出かけた。だが、母親はやはり心ここにあらず。毎日言い聞かせても、私の意見に賛成するが、頭ではわかっているが、心が納得していないのだ。夜寝言で、泣いてうなされてる日もあった。
母親はいろんな人と話したり、メールしていたが、みんな私と同じ意見で、離れる勇気をもってと言われていた。絶対戻ったらだめだよとみんなに言われていた。私は心のどこかで、きっと戻ったほうがいいと誰かに言ってほしいんだろうなと思っていた。
私が居なくなってから、毎日誰かに電話をしていたようで、ある日叔母から電話がきた。毎日のように電話が来て困っていると。毎日同じ話をしてくる、とのことだった。言っても言っても、頭でしか理解ができないのだ。心が全くついて行っていない。
1人で生活を始めて2週目。週末に母親のところに泊まりに行った。日曜日に帰宅し、翌々日の朝だったか5時頃ラインがきた。こんな時間に誰だ?と思ったら母親だった。
家に戻りました、というLINEだった。実はその前に、私に内緒で、離婚届をもらいに一人で家に帰り、父親に会っていたり、印鑑がないと家に戻っていたりしていた。その時点で怪しいとは思っていた。
職場の人の後押しがあったと書いてあった。なんと余計なことをしてくれたんだと思った。レオパレスを契約するのに半日かかり、母親の気持ちの動揺を考え、休みの日は一緒にいたり、家族との時間より優先していたのに。なぜ第三者がそんな勝手な発言をするのか、DVの怖さを知らない人の発言だろうと思い、腹が立つ思いと、自分の望む道に行けて母親は満足して人生を終えるのかと複雑な気持ちになった。
絶縁
縁を切ってくれていいですとLINEに書いてあった。
父親を一人にして、自分だけ子供たちと笑って暮らすわけにはいかないと。やっぱりわかってもらえなかったか・・・。涙が出た。
私は幼少期から苦しかったと二人で居た時母親に言った。どうしてもっと早く離婚してくれなかったのかと。体の症状のことも前から言っていた。暴力を見たり受けたりして育った子はこうなるんだよ、と言った。自分だってDV家庭で育ったんだから分かるでしょ?と。うんうんと返事をしていたが、空返事のような感じだった。
母親は自己肯定感も低いし、極端なマイナス思考だった。
いつも良いことないと言っていた。ため息もよくついていた。父親を怒らせないように気を使い、父親の機嫌を取るため、好きな食べ物を買ったり、衣料品を買いに行っても、自分のものだけでなく、父親にも買っていた。
愛情ではないと思う、と以前母親は言っていた。自分が大事にされていないことも、頭では理解しているのだ、頭では・・・
母親が1人で生活してから、父親に手紙を送った。父親のことを見捨てたわけではない。一人で家を探すのも大変だろうし、何かあった時には力になると。家のお金もレオパレスの分とダブルでかかってきてしまうので、1か月くらいで家を探してと書いた。
それが気に入らなかったらしい。父親の様子を見に旦那が行ってくれた。私はドアの陰に隠れて話を聞いていた。1か月以内に出て行けってどういうことよ、あいつは娘とも何とも思わない、手紙も燃やした、と言っていた。
1つにスイッチが入るとほかの内容が頭に入ってこないらしい。どうせ酒を浴びるように飲んでいる、そう思った。縁を切るも何も、切ったのは父親だ。私は母親に、父親のところに戻るなら私たち(兄も)とは縁を切ることになる、もう前のようには戻れないと言ってあった。それはお互いに。
兄が、こんなにいろいろお母さんを助けようと努力してくれたのに(私が)、どうして戻ったんだ、LINEだけで済ませるなんて、妹がかわいそうだ、と言ってくれたらしい。その後手紙が届いた。
旦那、息子、私にそれぞれ書いていた。父親は初めて、手を挙げたことが悪かったと謝ってきたそうだ。いつでも自殺しようと覚悟していたらしい。卑怯な男だ。
自殺することで、まだ私たちを苦しめるつもりだったのか・・・。本当に何もわかってない。
母親は戻ってよかったと思っているだろう。父親が死んでいたら、精神病になっていたかもしれない。自分のことも分からないくらいになってしまっていたかもしれない。
父親は、家族だけいれば俺はいいんだ、誰もいなくていいと以前よく言っていた。周りを大切にできない人間が、自分だけ幸せになるわけがないのだ。どれだけの人があなたに傷つけられてきたか。全く自覚もないんだろうな。
私の心の葛藤と今後の思い
今、2年くらい音信不通になっている。というか、亡くなるまで連絡は来ないだろう。もう死んでも連絡いきません、と手紙にかいてあったが。
もちろん、本心じゃないことくらい、私にもわかっているが、どうしようもない。私が謝って、仲直りするしかないだろう。父親は100%謝ってはこない。でも、もう開放してほしいのだ。
親のもめごとに何度も仲裁に入った。朝5時に電話が来て、父親が出て行ってしまった、連れ戻してほしいと言われたこともあった。夫婦のことに子供が入らないと仲直りできないなんて、私には考えられないのと同時に、負担なのだ。
私には私の生活がある。何かあるたびに実家に帰り、息子を連れてきてほしいと頼まれ(息子がいると機嫌がよくなるから)、息子が父親をなだめたり、説得したりしていたこともある。
息子が実家から家に戻ってきたとき、お母さんの言ってたことがわかった、ごめん、努力したけど、(私の母親が)殴られないように機嫌も取って頑張ったけど、やっぱりだめだったと言った。大丈夫、普通の反応だよ、と言った。
母親を守れなかったのは私も同じだ。
でも、こんな結果になってしまった。
良くやってくれたと叔母も言ってくれた。母親がひどいと叔母も言っていた。こんなに助けるために手を尽くしてくれたのに、と。息子は私の母親に、これ以上お母さんを傷つけたら許さない、と言ったらしい。
私は泣いた。
子供のことを母親はどう思っているんだろう・・・。大事だとは言っていた。でも。
父親を選んだ。自分の幸せよりも、父親を最後まで見てあげることが優先なんだろう。
自分だけが幸せに・・・、ということ自体間違っているのだ。
こんなに心も体も傷つけられているのに。
DVを受けている人は、みんな、私が悪かったというのが口癖になっているらしい。それが洗脳につながっているのだ。
また優しくしてくれると、なかったことにしてしまう。共依存の関係にもなっている。
今、どうしているのかわからない。良い状態ではないだろう。気になってはいるが、もうどうすることもできない。助けてと言われれば助けるつもりはあるが、きっと言ってこないだろう。あの人が一緒にいる限りは・・・。
私の母親は戻ってしまったけれど、今DV被害を受けている人は、自分の幸せをあきらめないでほしいと心から思う。みんな平穏な毎日を送る権利がある。幸せになる権利がある。自分を、もっと大事にしてほしい。
一緒にいること以外考えられないと思うかもしれないけれど、自分の身体が傷つけられることを、かわいそうと思ってほしい。そして、周りもつらいということを忘れないで。
一歩前に踏み出してほしい。殴られていい人なんていない。かわいそうなのは、相手ではない、DV被害者のほうです!
心の健康が一番大事です!!
両親には、もちろん感謝してるし、こんな形にしかならなかったことを申し訳ないという気持ちもある。
だからこそ、もらった命を精一杯生きたい。何があっても、私は幸せになることを諦めずに。