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がん再発~19歳でがん宣告されて~

目次

1度目の再発 手術から4年後

19歳で甲状腺がんになった。

初回のブログで詳細は書いたが、甲状腺乳頭がんという悪性腫瘍だった。甲状腺がんの中で最も多く、約90%がこの種類のようだ。予後は良く、生命に関わることはまれらしい。

だが、ごく一部の乳頭がんは再発を繰り返したり、悪性度の高い未分化がんに変わったりすることがあると以前検索した時に出てきた。

私はそのごく一部の再発を繰り返すタイプなのかもしれない

初回手術から4年後、私は再発した。息子がおなかにいた。妊娠8か月のときだった。何気なく自分の首を触った時、首の真ん中より右側あたりにリンパ節のしこりがあった。え?なんだこれ?

痛くもなく、硬くはないが、しこりがある。まさか。

もう手術したことも忘れ去られようとしていたころだった。しこりに触れた時、すぐに転移かもしれないと思った。胸がどきっと一瞬止まったような感覚になった。

不安になり、かかりつけの病院へ電話した。大丈夫だと思うけど、病院にきてと言われた。医師も転移とは思っていないようだった。一応検査してみましょうと言われ、また生検をした。前回のような痛みはなかった。

医師が多分転移ではないと思うと言っていた言葉もあり、大丈夫かもしれないと少し思っていた。でも転移じゃないとしたらこのしこりはなんなんだろうという疑問もあり、ある程度覚悟はして検査結果を聞きにいった。

がんの再発です。

あまりにあっさり言われた。え?という思いとやっぱりかという思いが交差した。がん、再発という言葉は何度聞いても心臓に悪い。背中に冷たいようなものが流れる感覚、また将来への不安が来る。だからなんで私なんだよ・・・。

医師と相談し、出産後1か月で東京の病院へ行くことになった。生後1か月の子供を連れて行くわけにもいかず、旦那の両親に預けることになった。東京へは旦那と二人で行くことになった。

甲状腺の病を患ったことのある方なら聞いたことがあるかもしれないが、表参道にある伊藤病院というところで手術してもらうことになった。

甲状腺全摘するとのことで向かったが、検査の結果1か所のリンパ節の転移しかないので、局所麻酔でリンパ節だけ切除することになった。

全摘すれば、一生甲状腺の薬を飲まなくてはいけない、若いし、残ってる甲状腺はそのまま残しておいたほうがいいというお話だったと思う。(もう20年以上前になるので記憶が曖昧なところがあるかも)

同室の方はみんな年配の方だった。私のような年齢の人は病院では見かけなかった。同室者の方はみんな和気あいあいとしていて、1週間弱の入院だったと思うが、楽しく過ごさせてもらった。

手術も局所麻酔で済んだので、負担も少なく終わった。痛みもそこまでなかったと思う。やはりみんな病気の程度や病状も違うが、同じ病気と闘っている人たちなので、心強く感じた。

無事手術も終え、子育てに専念する日々が続いた。最初は良く泣く子だったので大変だったが、3か月を過ぎたころから、楽になってきた。かわいい子供の笑顔、しぐさ、泣き顔、全部が愛おしく思った。

自分の子供って、こんなにかわいくて、大事な存在なんだと。子供のためにも強く生きようと思った。このまま再発もなく幸せな日々を過ごしたい。

何があっても、この子が成人するまでは生きていたい。そう願っていた。                     

2度目の再発 1度目の再発から2年後

子供が2歳になったころだった。またリンパ節の再発が見つかってしまった。

こんなに再発するものなんだろうか・・・。当時は、命のかかわることは少ない病気と言われているのに、こんなに転移を繰り返すものなんだろうかととても不安だった。もしかしたら、私はその少ないほうなんじゃないだろうか・・・。

長く生きられないかもしれない。肺や骨に転移することがあると聞いていた。私はこのままいけば、そうなってしまうんじゃないだろうか。旦那や子供が不憫だと思った。

旦那が私を選んだことは間違いだったかもしれない、子供にも私が母親で申し訳ないとネガティブに考えてしまった。私はネガティブ思考ではあるが、悩んでいたことを忘れることも早いようだ。

立ち直りは早いと思う。どん底まで考えるが、そうなった後は割と受け入れるタイプ。1回目の再発の時、実家で母親と、同居の父方の祖母が泣いた。

祖母はできるなら代わってあげたいと。母親はひたすらに自分が健康に産んであげられなくて、自分が悪いんだと自分を責めて、私がかわいそうだと泣いた。当の本人は受け入れていたので、一緒に泣くこともなく、他人事のように2人を見ていた。

なぜこの人たちは泣いているのか。私は受け入れたといった。手術するしかないし、たいしたことではないと言って、前向きに考えてることも伝えていた。泣いてる2人の気持ちはわからなくはない。でも私ははっきり言った。自分は冷酷な人間かもしれないと思いながら・・・。

私が泣いていないのに、なぜ泣くの?

私が頑張ると言ってるのに、手術するしかないと受け入れて頑張ってるのに、なんで泣いてばかりでマイナスなこと言うの?実家にきて、頻繁にため息をつかれ、良いことないなと言い、私が悪いと母親が言う。

泣いてもわめいても、現実は変わらない、一番つらいのは私。代わってあげたいとかいろいろ言われたって、誰も代われないし、痛いのもつらいのも本人。嫌だから私の前でそういう態度はやめてほしいと言った。

そんなこと言って態度を変えられる母親ではない。極度のマイナス思考なので。

私も、自分の子供が病気になったとして、普通でいられる自信はもちろんないが、少なくとも本人の前で泣いたり、マイナスなことを言うことはないだろう。

それが子供を不安にさせてしまうこと、もっと落ち込ませることになると私は思っているから。そもそも実感もしているから。 

今回の手術は、リンパ節郭清をした。首の右側のリンパ節を広範囲にとってきた。数か月、首が痛くて、右を向くこともつらかった。肩の感覚が鈍くなっている。それは20年たった今も残っている。                      

3度目の再発 2度目の再発から19年後

さすがにもうないだろうと思っていた。

定期でPET/CTを受けたら、またリンパ節に転移がありそうだとのことだった。結果を聞きに行く前に、かかりつけの病院の医師から携帯に連絡が入ったのだ。

これはダメな連絡だなと察知した。      

また再発か。なんてしつこいがんなんだろうと思った。

今度は手術でとるのは難しいだろうと言われた。

何回も手術してるので、組織がくっついてリンパ節が探し出せない可能性があると。大きくなっていくようなら手術も考えるとのことだったが、幸い数か月で大きくなることはなかった。

リンパ節に転移していても、手術せず、何年も大丈夫な人たちがいっぱいいると聞いた。その方たちは何歳ですか?・・・なんて聞けなかった。

私の年齢で(19歳)がんになる割合はかなり少ないだろう。

私と同じような転移を繰り返してる人はいるのか、何年このままいられるのか聞きたかったが、聞いてもしょうがないと思った。人それぞれ体は違う、同じような人がいたって、その人と同じ転機をとるわけではないだろう。

40代になり、ほかのがんも気になり始めてきた。

もうなるようにしかならない。好きなことして生きよう。

と思った。子供もありがたいことに20歳になった。自分は不幸なりに幸せなのかもしれない。家族3人でいられることが幸せなんだと思う。この先、リンパ節以外にも転移するかもしれない。

でも、考えても仕方がない。笑顔は免疫力を上げると言われているので、たくさん笑おうと思って過ごそうと思う。もともと私はよく笑うほうなので・・・。泣いても笑っても現状が変わらないなら絶対に笑っていたほうがいい。周りも幸せになるし。(たぶん・・・(笑))これからもがんとのお付き合いになるが、自分の体を持て余すことなく、付き合っていこうと思う。

     

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